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silver lining20181216

飢饉でも生き抜く方法を伝えた人

市役所の敷地内に綺麗に紅葉している木があった。
20161116.jpg
近づいてみると誰かの銅像があった。
建部清庵(たけべ・せいあん)という江戸時代中期の医者。
ここ一関の地から杉田玄白と書簡を交わし、蘭学の発展に協力した人。

江戸時代の東北地方にはしばしば、冷害によって飢饉が起こり、多数の餓死者が出た。
清庵はその惨状を眼にする。
ある日、友人の郷内勝清の家で、明の兪汝為の『荒政要覧』を見て、これをヒントに救荒書の編纂を思い立つ。
宝暦5年(1755年)、『民間備荒録』上下2冊を発行した。
上巻では、飢饉に備えて食用となる樹木を植え、食料を備蓄する方法を述べている。
下巻では、具体的に草や木の葉を食べる方法、解毒法、応急手当法などを述べている。
一関藩の奉行・代官を通じて、藩内の村々に配られたという。
印刷された救荒書としては早くに出たもので、何度か版を重ね、16年後の明和8年(1771年)には江戸で出版された。

(ウィキより引用)

名前や編纂書物は知っていたけど(友人の卒論テーマだったので)、ここに銅像があったのは知らなかった。
私が今生きているという時点で、私の先祖は江戸中期にいたはずで、
この人のおかげで先祖が飢饉から生き延びていた可能性は無きにしも非ず。
もしかしたら先祖が知り合いだったかも(という言い伝えは全く無いですが)、
今生きている誰かの先祖は知り合いだったわけで、
歴史上の人物を身近に感じるときって、
こういう想像をしている時なんだよなぁと一人コンデジを向けていたのでありました。
201611162.jpg
日本最初の救荒書『民間備考録』を編纂した人、一関藩医、建部清庵。
それにしても美しい紅葉でした。

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